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Channel: コーヒーを挽きながら~岸本静江のひとり言~
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またまた交通事故に!

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 1111日朝7時夫とウオーキングを兼ねたゴミ拾い中、道路を横断しようとして不注意にも乗用車に激突! 右足首の「粉砕解放骨折」
 
 道路の反対側にカラのペットボトルを発見、駆け寄って拾い、元の側に戻ろうとした時1台の軽トラ通過。滅多に車も通らない道、1台やり過ごした安心感から再度の確認をせずに元の側に戻ろうとした途端、後続車に我からドンと激突。自分の体がマリのように転がり、次の瞬間アスファルト道路の真ん中にたたきつけられていた。
 
まったく私の判断ミス、不注意ミス。車の主には本当に申し訳ないことをしてしまった。
 
 その車の主と夫が駆け寄り救急車要請。
 まず鶴舞の県立循環器病センターに搬送され、応急手当ての後(整形外科のハヤシ先生の適切な処置、ありがとうございました)市内辰巳台にある千葉労災病院に転送、4時間に及ぶ緊急手術を受けた。
 
「幸い」にもケガはその足首のみ(ただ車のタイヤに押しつぶされて爪先がぐるっと右方向に回転、その結果粉砕されたクルブシの骨が外部に露出)。さらに「幸い」だったのが、搬送された労災病院が骨折治療や人工関節手術では全国有数の専門病院だったこと。(千葉労災病院のwebをご覧ください。)
 
3人の若く優秀な整形外科の先生方が新技術(創外固定術)で迅速に処置にあたって下さったおかげで、手術成功。おまけにこれまた「奇跡的幸い」で骨折の痛みを全く感じず。
 
 痛みはなかった、とは言え、術後病室に運ばれ仰臥姿勢から思い切って上半身起こし、自分の右足を見た時の驚愕! 足首を中心にヤグラが組まれ、そのヤグラの根本は我が体のスネ、足の甲、カカト、と6か所の骨に直接打ち込まれているではないか。
 
イメージ 1        イメージ 2
 
 
 
 
 
 
 
 
           (ホータイを取ると)
 
(これが創外固定)
 
 
 
 この「足の骨から生えたヤグラ」という異物を抱えての3週間の長さ、苦しさ。夜間寝返りもままならず1時間毎に目覚めてしまうし、車イスでのトイレ往還の煩わしさ、そのヤグラをつけたままのリハビリの苛酷さ。
 
 それだけに夜明けの日の出のありがたさと言ったら!この時期日の出時刻は6時半過ぎ、1年で最も日の短い季節。でも私の病室のある最上階7階の談話室は東西南3方角に大きな窓があり、天気の良い日は日の出、日の入り、そして東京湾越し真正面に雪を頂いた富士山が見える。痛みや不眠で一晩中苦しんだ患者仲間たちが6時ごろから集まり、ご来光を待つ。
 
 遠く外房海岸からだろうか雲間を払って、最初は薄赤い黎明、次いで雲の縁が金色に染まり、あっと息を呑む瞬間真っ赤な太陽がするすると上ってくる。それが次の瞬間磨き抜かれた鏡のように銀色に輝く。ご来光だ。思わず手を合わせる。原始の人々の夜明けを待つ気持ち、暁に祈る気持ちが痛いほど感じられる。今日が良き日でありますよう。昨日より少しでも苦痛が減り、回復への一歩になりますよう。        (今しも太陽が…)
イメージ 3
 
「ご来光ギャラリー」の常連は様々の、主に骨の異常を持つ患者が多い。首や脊椎の椎間板ヘルニア、ゴルフ場でのカート転倒による股関節骨折、植木手入れ中脚立からの転落による首骨折、長年の農作業からくる膝骨変形、私のような交通事故、若者のスポーツ障害。持病の糖尿病のため他病院で手術を断られた腰椎ヘルニアを抱えた滋賀県からの方。
 
みんな1日でも早い回復を願い、ご来光に祈った後はリハビリに励む。ここのリハビリ施設も充実している。私も場合も手術翌日から1時間の筋力維持増強特訓。担当の療法士栗原嬢の指導の下仰臥の姿勢でヤグラの足をオイチ、ニ、オイチ、ニ、振り上げ振り降ろすこと100回。汗びっしょり。
 
イメージ 4 (充実したリハビリ室)
 
 リハビリ後の楽しみは食事。量もそうだが質も最高! 自宅でだってこんなに毎食豊富な皿数は用意できない。特に私は貧血患者用メニュー、他の人より2皿位多かった。糖尿病患者にはそれなりの、また常食患者にはメニュー選択があるなどここは患者のQOLにも細かく留意してくれていて、思わずスタッフに毎食感謝のメッセージを書いてしまった。
 
イメージ 7
                                         (ある日の朝食)
 
同室の仲間が次々退院してゆく寂しさの中、医師達の先進治療、おいしい食事、厳しいリハビリ、看護スタッフの行き届いたケアのおかげでようやく私にも回復の兆しがあって、事故後3週間目、待望の「ヤグラ」が外された。
 
代わりにギプス装着。ギプスは重く大きいが、あの奴隷の足鎖のような「ヤグラ」に比べれば寝返り自由だ。初めて5時間ぶっ通しで眠れた時の喜び。そして松葉杖での歩行訓練。うれしくて、ついやりすぎて脇の下、肩、腕、筋肉痛。
 
イメージ 5
(ヤグラが取れた!) 
イメージ 6 (こんなに軽くなった)
 
 まだまだ右足は地面につけられないが、松葉杖歩行と自宅での自主リハビリを条件に事故後1カ月の1213日(土)遂に夢にまで見た退院にこぎつけた!
 
 当初家族は私が2度と自分の足で歩けるとは期待していなかったらしい。術後「最悪の場合」を想定した病院側の説明もあったし、事故から術後まで一部始終を看護していた夫は、「これはヤバイ、一生車イス生活か」と覚悟したという。
 
それが昨日、退院後2週間目の1225日、期待以上のクリスマスプレゼントをいただいた。
 
車イスで外来診療に伺うと、いきなり「両足で立ってごらん」と主治医の秋本浩二先生。えっととても信じられなかった。恐る恐る立つが怖くて右足に体重はかけられない。「大丈夫だから」のお声に思い切って両足に半分ずつ体重をかける。出来た!
 
自分の足で立てたのだ。これがありがたがらずに、うれしがらずにおられようか。その調子なら2月中には歩ける?! 半年後には運転できる?
 
 いや、欲張るのはやめよう。「幸運」が重なって生き延びられたこの命だ。焦らず根気よく治して、まず自分のできることは自分でやる。次にご迷惑をかけた方々、支えてくれた人々にお詫びと感謝。それに2度とこうした迂闊な事故を起こさない、という誓いと。
 
中でも誰より私を気遣い、看護し、今も家事一切を引き受けてくれている夫に感謝しなければ。彼の労に報いなければならない。
 
でも、でも、あまりに大きな献身にどうやって報いたらいいか…。
せめてとりあえず、(テレずに)大きな声で言おう。
「恭一さん、ありがとう! 愛しているよー」
 
 

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