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Channel: コーヒーを挽きながら~岸本静江のひとり言~
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「ロドリゴの足跡を訪ねる」~御宿・大多喜バス見学旅行

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 市原市牛久の南総公民館で2月19日、3月5日と2回に亘って行った私の講演「ロドリゴと家康」の総仕上げ。受講者30人と一緒に3月19日(木)御宿・大多喜バス見学旅行に行って参りましたぁ。
 
 まずロドリゴ漂着地の御宿町岩和田の田尻海岸。そこで御宿町国際交流協会会長・御宿アミーゴ会幹事の土屋武彌氏が出迎えてくださる。御宿を日本・メキシコ交流の一大発信地にするべく奮闘されている方だ。
 
 この海岸はサーファーに名高い御宿ビーチに比べ三方を崖に囲まれた狭い浜辺だ。よくもこの狭隘な浜に317名もの遭難者が泳ぎ着けたものだ。土屋さんから詳細な資料と説明を頂き、現地に立って今更ながら400年前の異邦人の漂着を実感された方も多かった。
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 海洋生物環境研究所の施設があり波打ち際までは行かれないが、折しも体が飛ばされる位の強風に海は暗緑色に濁り、逆巻く白い怒涛が狭い浜辺を越えて崖近くまで打ち寄せ、波しぶきが雨のように降りかかる。嵐に遭遇したサン・フランシスコ号乗船者たちの恐怖がまざまざと甦る。ここで御宿漁民の手厚い救助・介抱がなかったら折角座礁船から命からがら陸に泳ぎ着いた人々も寒さと飢えから再び死の危険に立たされただろう。
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 その縁から生まれた日本・メキシコ・スペイン3国交流記念の「メキシコ記念塔」。漂着地から5分の高台。海は一面に灰色だ。晴天時はここから眺めるとよく見える田尻海岸沖の海中岩礁も今日は見えない。交流400年を記念して2009年に設置されたメキシコ人彫刻家Rafael Guerrero作「Abrazo(抱擁)」像もここにある。今は愛の象徴としても人気でお賽銭をあげる若いカップルもいるそうな。我々も塔を背景に記念写真。
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 次いで御宿町庁舎玄関ロビーの置き時計見学。ロドリゴの日本滞在中の厚遇と日本製ガレオン船でのメキシコ送還に感謝したメキシコ副王から家康に宛てた感謝の贈り物だ。ただし本物は久能山東照宮蔵で昨年御宿町にそのレプリカが寄贈されたもの。みんなでワイワイ時計を眺めていると旧知の御宿町石田町長まで見えて歓迎挨拶。全員市原市民だから選挙のお役には立ちませんが… 御宿町の国際交流にかける情熱は伝わりました。

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 次いで御宿の誇る酒造会社「岩瀬酒造」へ。サン・フランシスコ号の残骸と言われる巨材が母屋の梁となっている。専門家によると日本にはなかった南洋材だという。真っ黒に煤けているが、目をこらすと他の材と組み合わせたらしい四角い穴が幾つか穿ってある。当時フィリピンには目立つような産業はなかったが、船の築造術だけは抜群だったらしい。
 
 この酒造での楽しみは他に2つ。別館が写真ギャラリーになっていて先代社長で写真家の岩瀬禎之氏が撮った御宿の海や海女の素晴らしいモノクロ写真が展示してある。あわび祭りやイセエビ祭りのポスターはいつもこの写真群から選ばれる。
 
 もう1つは見学者に振る舞われる酒の試飲。大きな木の丸テーブルに「岩の井」や「山廃大吟醸」など銘酒がずらり。それと甘酒、おつまみ。お茶のサービス。ポツポツ降り出した冷たい雨の中ホットな甘酒はすきっ腹に染み入って、一同ホッとする。それを皮切りに銘酒や甘酒を買う参加者も多い。
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 甘酒をアペリティフに昼食は眼前に180度水平線が見渡せる「サヤンテラス」で。ビーフシチューもサワラの春キャベツ巻ランチも景色に劣らずおいしかった。ごちそうさまぁ。
 
 どうやらここまで持った曇天にも見放され、雨脚激しくなる中、御宿を後に一路大多喜城へ。現在は千葉県立中央博物館分館となっている。ここはロドリゴが「日本見聞記」の中でかなりの紙量をさいて描写している所だ。特に城への道は「城の大一門をくぐると、跳ね橋のかかった50エスタード(100メートル)以上の深さの濠があった。こうした造りであるならば、この城の門に至ることさえも不可能と思われる。城は大変素晴らしく、そこではその後見たものが霞んでしまったほどであった。例えば城門などは全て鉄でできており、非常に大きかった。濠の向こうには城壁があり、門には100人ほどの火縄銃兵が武器を手にし、敵襲にも用意万端の姿を見せつけていた。…」(大垣貴志郎氏訳)など細かく描写している場所で、麓の駐車場から入口までかなり歩かなければならない。が歩くとロドリゴの描写がまさに実感させられる山城、要害の地だ。「濠の深さが100メートル」というのは誇張!と思われるかもしれないけれど、麓から曲がりくねった坂道の両側は切り立った断崖で城門から見下ろすと深い谷、これが「濠」なのだ。皇居の「お堀」のように水を湛え城の周囲を取り囲んだ堀ではない。
 
この城で城主本多忠朝に真心籠る接待を受けた後ロドリゴはいよいよ江戸の秀忠、そして駿府の家康と国の命運を懸けた難しい交渉を展開するため出発するのだ。
 
 大多喜町は目下町を挙げて「本多忠勝・忠朝父子」で町起こしをしようとしている。NHKの大河ドラマの舞台に、と町中で意気込んでいる。忠勝は槍を取っては天下無双、家康四天王の一人で忠朝はその次男だ。
 
 館内には忠勝の肖像画、大坂夏の陣で討ち死にした忠朝着用の鎧や火縄銃、刀など当時の資料が展示され、希望者は兜や陣羽織などのレプリカを着用することができる。毎年秋には「お城祭り」が挙行され甲冑姿の武者行列やおみこしの渡御が町を練り歩く。
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  降りしきる雨中旧城下町の佇まいを髣髴とさせる街並みを車窓から眺め、ロドリゴの足跡を辿る今日の見学旅行を無事終了した。



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